06

4月

2010

お一人さまとは誰のこと…老いのドアを開けた人と、これからノックする人

第5回男女共同参画基礎セミナー「高齢期に向かう心構え」 第5回男女共同参画基礎セミナー「高齢期に向かう心構え」

 「ほっと越谷」主催のセミナー「不安なのはあなただけではない。安心して暮らすために」(3/14開催)には、雲母くらぶも日頃の思いを発表させて頂きました。大変な盛況で、老後という人生のドアのノブを、どのような心構えで握ったらよいのか、立ち迷っている、という感じです。
老後というものが、ある程度の期間限定があった過去と違って、私たちは生かされていくことの恩恵と同時に、その質が個人に問われることになりました。


 昔は、ある限界を感じたら「老兵は消える」ことが当然であって、先行きをさほど心配しないで、晴耕雨読の暮らしが許されました。町のご隠居さんは、生活の生き字引として尊敬され重宝がられました。役に立っている、という支えがありました。
 今や老人は医療費や福祉予算のお荷物として、慇懃無礼に特別? 扱いされています。
「いつまでも元気で現役でいて下さい」、という激励の言葉の裏には、社会の負担にならないように、元気なうちにあの世に旅立ってください、という願望が見え見えです。高齢者は敏感に本音を受け止めています。

 

雲母くらぶ主宰

 年を重ねるということは、心身が退化することであり、脳の働きや反射運動が鈍くなるということです。予防や鍛錬で先延ばしできますが、いつかは死のお迎えがきます。
この大前提を時々無視して、「いつまでもお元気で・・・」と激励されると、時には「老骨にむち打つ」ことが重荷になることもあります。だからマイナーな愚痴を言う年寄りはイヤだと、言われるかも知れませんが、人生いつも向日性であることのほうが不自然です。健康が善であり、病が悪であり、死ぬ事が敗北であるという考えは、勝ち組とか負け組と言われる傲慢な種別意識を生み出しています。
老人はマイナーになりがちですし、特に今どきの世相ではそうなっても不思議ではありません。
もし、「何にもしないでボーっとしていたい」といえば非難されるでしょう。「そんなマイナス思考は許されません」と。でもそう考えるのは自分勝手なのでしょうか。

 

 今ほど、高齢者にとって生きにくい時代はありません。悠々自適の暮らしはなかなか望めません。
常に足手間といにならないよう、世のため、人のために役立たなければいけない、という強迫観念に取り付かれているのが高齢者です。しかし、介護保険があっても、福祉施策が充実しようと、本人の衰えていく肉体には抗えません。高齢者にとって、自然との融合や許しあう魂の安らぎこそ、満ち足りた人生といえるのです。そこで取りあえずの順応策として、高齢者は絶望しないためには、成るようになるさ、と居直ることをお薦めいたします。そしてあれこれの説教を無視して、悠然と、我が耳目を信じてエピローグを迎えましょう。
孤独死? いいじゃありませんか。

 

 

 セミナーの講師の松原さんは60歳を超えたばかりの、現役の活動家です。
多くの女性の要望で、一人暮らしの女性の老後について啓蒙活動をしています。このまま一人で老後を迎える不安とか、具体的にお墓の問題だとか、孤独死の恐怖とか、悩み事をみんなで話し合いながら楽しく老後を迎えようという、NPO法人を立ち上げています。アクティブで、素晴らしい活動だと思いました。しかし時代のニーズとしても、一人という単位が異常なまでに恐怖のイメージであると言うこと、またそれが必ずしも高齢者に限らないということに、カルチャーショックを受けました。

 

 齢50代前後から老後を考える過程には、独身で過ごした女性の社会的な対応が影響しているといえます。未婚、、離婚、死別も含む独身者にとって、老後というには早すぎる課題に非常に過敏になっているのだと、感慨深いものがありました。既婚者とて同様です。既婚未婚を問わず、人はみんな一人。孤独死の確率も同じ。墓の有無に至っては、悩みの対象にもならないと思います。
松原さんは「仲良しの女友達だけの共同墓」を作ったそうです。失礼ながら、仲良しの女友達とはどういう範疇なのかわかりません。良き人の友達を作ろう、ということが老後のキーワードだそうですが、慰めあうことは大切でも、依存しては危険です。一人では生きられない。しかし最後はひとり、結果として孤独死も当然です。

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